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バイオリン弾くのはバスのため

アオイハチドリプロジェクト進行中(このブログの最後にプロジェクトの詳細とそれを見届けるための公式LINE登録コーナーがあります)



※2020年12月31日(木)以下の文章(「今日2018年」から始まる文章)を若干修正しました。
 そして改めて2020年に作曲した「千手の祈り」(抜粋)を掲載します。
三井三池炭鉱三川坑の炭じん爆発事故(1963年)の慰霊碑が57年ぶりに建立されるというニュースに触れ作り始めた曲です(2020年11月9日(月)図らずも慰霊碑除幕式で演奏することになりました)。
福岡県大牟田市は新型コロナ、7月の豪雨など大変な一年でした。
もちろん日本も、そして世界も多くの苦難を強いられた年でしたが、今こうして生きていることに感謝しつつこれからも音を紡いでまいります。

「千手の祈り」(抜粋) ドロシーみきこ音楽事務所

「千手の祈り」の1曲フルはさまざまな音楽配信サイトで配信中。
音楽配信サイト一覧が見やすくなりました。


今日2018年(平成30年)12月24日(月・祝)、私はふと思い立ち、福岡県大牟田市の街を歩くことにした。
クリスマスイブで、祝日(振替)、そして平成最後のクリスマスイブというおまけ付き。

自分の事務所まで歩くと、ゆめタウン大牟田を通ることになる。そこは師走に加え祝日のクリスマスイブということで大勢の買い物客、とりわけ親子連れでごった返している。

事務所で用事を済ませ、オームタガーデンホテルの近くを通って銀座通り商店街へ。このホテルももうすぐ無くなるんだなぁ。

銀座通り商店街は、私が初めて大牟田に来て日曜日にぶらぶらした街並みなのでとても思い入れがある。あの店で通勤用のリュックを買ったっけ。この店では五線譜を買った。そしてあそこのお店の店主はエッジが効いてて…などなど思い出す。

商店街のお店の多くが日曜日に閉まっているのが衝撃で、でも、私がこの町に越してきたのは炭鉱閉山後。仕方ないことなのかも。小学校の頃から親しんだ熊本の下通り、上通りといつの間にか比較していた私…
でも、昭和30年代の写真を見ると、人々はごった返していて、いい時代だったんだろうなぁ。

私が大牟田に来た頃は、まだかろうじて松屋デパート(昭和12年創業)もあった(松屋デパートは上の写真のアーケードの先、右手にありました)。
後述する最初の就職先の福祉施設の入居者の方々を引率してレストランにも行ったっけ。松屋のレストランに行ったのは、それが最初で最後、そのとき洋風カツ丼知っていたらなぁ(今福岡県大牟田市のご当地グルメで、いろんなアレンジの洋風カツ丼を市内約30件のお店で食べられます。元祖松屋の洋風カツ丼を再現してあるのは彩花と(旧)三井港倶楽部だったけど、今は前者だけかな?調査していないのでわかりません。)

そうそう、上の写真は今日撮りました。
先ほど述べたように、平成最後のクリスマスイブ、さらに振替休日。
なのに、すれ違ったのは3人だけでした。中央の看板にも案内してある十日市などでは賑わいますが…
右上の「雨が降ってもおもしろい!」の暖簾がなんとも言えませんでした…

JR大牟田駅にも寄りました。

私が福岡県大牟田市へ越してきたのは、三井三池炭鉱が閉山して数年経ってから。
千葉から熊本へ越して長く熊本に住んでいて、その後宗像に2年間過ごして大牟田へ。最初の就職先である福祉施設が偶然この地であり、縁もゆかりもなかった。

あのころから駅周辺のお店は少々変わったけれど、景色は変わっていない。

少しさかのぼると
私はある大学で言語学を学び、世界の珍しい言語に触れたりしながら、でもなんだかなーという感じで言語の心理学的側面を学びたくなって、今考えると周りにものすごく迷惑をかける形で、別の大学の大学院へ進学し、聴覚障害児の言語について2年間研究をした。

その頃、言語聴覚士などの職業に興味を持っていたのだが、なんやかんやで、結局、福祉施設に就職をしようと、福岡県大牟田市に試験を受けに行き、なんとか受かってそこで初めての仕事を経験する。

ただ、私が当時降り立った、炭鉱閉山数年後の大牟田は、とにかく「暗い」。駅前の観光プラザで、買い物できるところを尋ねても、「うーん、そうですねぇ…」とはっきりしない。「いったい大牟田の人はどこで買い物をして、何を食べているんだ」と思ったことだった。

今考えると、大牟田市で働く方々は、大牟田市外から来られている方も多く、お尋ねした方も大牟田市外の方だったのかもしれない。

福祉施設は、かねてから音楽の仕事がしたい(といっても私にはバイオリンしかなかった。その辺のところは割愛)、特にGAOH-BANDやJOY倶楽部などの障がいのある方々による音楽団体に関心があり、「障がいのある方ない方が一緒に活動するプロの音楽団体をいつか作りたい」という想いがあふれ、1年でやめてしまった。施設内でも音楽活動はしていたのだけれど、もうどうにも想いがあふれてしまったのだ。

ここでも、同僚や先輩方には本当にご迷惑をおかけしたが、ありがたいことに今でも当時の仲間や先輩方、そして施設の入居者の方々とも仲良くさせていただいている。

実は、初めて降り立った大牟田で、私が最初に見た単語は「じん肺」。そして私はその単語に引き寄せられるように二つ目の仕事についた。そこは、閉山後の失業対策や、炭鉱やトンネル工事、築炉などで三大職業病(じん肺、振動病、騒音性難聴)になられた方々の相談所で、私は主に三大職業病の労災申請の事務を担当していた。奇しくも、騒音性難聴については大学院時代の聴覚障害の勉強が少し役に立った。

仕事は充実していたが、とにかく週末に演奏活動をして音楽の世界に足を踏み入れたかった私。

ほぼ週休二日だったので、週末は大牟田市内さまざまなところで演奏をしていた。

実にいろんな出会いがあり、ドロシーの名付け親にも出会った。その頃はまだ演奏家としてはプロではなかったのでどこへでも行って演奏を気楽に楽しむという感じだった。

さきほどの銀座通り商店街でも演奏した覚えがある。アーケードの中はとても響きが良く、ここでコンサートが開催出来たらどんなにかいいだろうと思ったし、今でも思っている。

ただ、楽しみながらも、「障がいのある方ない方が一緒に活動するプロの音楽団体をいつか作りたい」とともに、大牟田に来たときに感じた「暗い大牟田」を音楽の力で盛り上げることができたらと思い続けていた。もどかしく…。

そして、また転機が訪れる。その事務所の経営が危うくなり、唯一の正社員の私は退職せざるを得なくなったのだ。

結果的には「円満解雇」。

雇用保険をもらいながら、大きな決断をした。

ずっとやりたかった音楽の仕事。

片手間ではないプロとしての音楽の仕事。

「障がいのある方ない方が一緒に活動するプロの音楽団体をいつか作りたい」を実現し、「大牟田を元気にしたい!!!!!」

色々なところへ飛び込み営業をしたりしていると、すんなりうまくいくところもあるが、不思議なことに断られたところの仕事が別のルートから入ってくることもある。そんなこんなで、依頼演奏や、テーマソングの作曲、冠婚葬祭、レッスン等々忙しく2010年(平成22年)2月22日に正式にドロシーみきこ音楽事務所を立ち上げ、今に至る。

あ!どんな仕事をしているかは筆者紹介ページに簡単に書いてます。

そして、今日のタイトル「バイオリン弾くのはバスのため」。

2012年にガンを見つけてから、それまで必死に音楽事務所の仕事をこなすことに集中していた私は感謝と生きる喜びを音に乗せるようになったけれど、ふと気づくと私が大牟田市に来てから既に2万人以上の人口が減っている。高齢化もすすむこの町で音楽の仕事ってどうなんだろう…とあるとき思った。

いやいや、あの音楽団体と、大牟田を元気にするってこと忘れてない?

そうだ、ここでもう一度私の目的地を、明確に記さなければ前に進めない。
これから進む目的地までの私の地図。
ぶっとんだところもあるが、そのままにここに保存しておこうとおもう。

私の目的地

大牟田市を元気にすること

具体的には「大牟田市中に10分おきに走るバスを張り巡らせること」名前は「ハチドリ芸術バス」(2021年2月現在の仮名)

銀座通りはじめ大牟田市内に縦横無尽に走るバスがたくさんあったら、いいだろうなぁ。

目的地にたどり着くための長期目標

障がいのある方々とない方々が一緒につくる音楽団体「大牟田なないろ楽団」(2021年2月に「ハチドリ芸術社」と改名。)が銀座通りのどこかを拠点としてほぼ毎日演奏をして、それが大牟田市、福岡県、日本中、世界的に話題になり、大牟田の銀座通りを中心に足を運ぶ人が増える。大牟田に遊びに来る人が増えるので、バスの本数が増える(10分おき!)。増えなければ直談判(どこに?)。
高齢の方々も街に繰り出しやすくなり(傾聴ボランティアをしているのだが、足がないという話がいつも出るので切実!)銀座通りなどに今できている新しいお店にも世界中から観光客やたくさん人が訪れるようになる。もちろん他の地域にも。
バスはハチドリ芸術社がデザインして、バス自体が観光名所みたいな!かわいいものにする

中期目標

大牟田なないろ楽団(2021年2月に「ハチドリ芸術社」と改名。)のライブ拠点をつくる(銀座通り)→2024年ごろ開始したい
メンバーをオーディションで選ぶ

短期目標

サポーターを養成→2021年現在公式LINEで賛同者の方々が増えています

その間、すべての自治体を回る「元気のバトン 1750市区町村バイオリン行脚」(2020年12月現在29か所達成)はぼちぼち続け、そのうち、なないろ「ハチドリ」のメンバーとも行けたらいいな。と思っている。


ハチドリ芸術社とハチドリ芸術バスのために行う事業を
アオイハチドリプロジェクトと名付け現在2つのプロジェクトを成功させました

2022年末より第3弾進行中! NFTアート)
収益の一部をこのプロジェクトに積み立てています
①2019年5月19日(日)十割蕎麦とバイオリン(このときはまだ「なないろプロジェクト」だった)は満員御礼
②2021年10月10日(日)~11月30日(火)「海翔る、アオイハチドリ」CD制作クラウドファンディングは目標額を超えるご支援を賜ることが出来ました

ありがとうございます

当プロジェクト第2弾で制作した
CD「海翔る、アオイハチドリ」(詳細ここからご覧になれます)
ただいま3,500円(税込み)+CD枚数に関わらず送料100円にて販売中
(売り上げの一部を当プロジェクトに積み立てます)
mail@dorothymikiko.comに
ご希望枚数とお名前とお送り先をご連絡ください。
お振込み先をお知らせいたします(^-^)
ご希望CD枚数とお名前とお送り先をご連絡ください。
お振込み先をお知らせいたします。
※恐れ入りますが、お振込手数料はご負担下さい。
ゆうちょダイレクトがお得です(^-^)

今日(2018年クリスマスイブ)の散歩の最後に、今、耐震性の問題で市役所の機能は移転予定だが歴史的価値のある建造物として保存していこうという運動がおこっている、大牟田市庁舎を大牟田駅近くから写真を撮ってみた。

大牟田元気になーれ!

最後に!

現在、【ドロシーみきこ音楽事務所公式LINE】にて、アオイハチドリプロジェクト↑などをいち早くお知らせすると同時に、お友達になって下さった方からの大牟田市を元気にするためのご意見なども頂戴して、上記の地図をどんどん進めていきたいと思っています。

ぜひこちらからお友達になってください↓

友だち追加

お問合せ

mail@dorothymikiko.com

4 thoughts on “バイオリン弾くのはバスのため

  1. 匿名 より:

    ドロシーさん、いつも元気を頂きありがとうございます大牟田市民より、大牟田市民らしい心構え見習いたいと思います。
    私は、この大牟田が大好きです。今まで、いろんな仕事をして来ましたが、大牟田から離れられません‍♀️
    こんなにも大牟田市を愛してくださり、感謝申し上げます。
    私もドロシーさんに負けない様に、大牟田市を元気にしていきたいと考えています。何かお手伝い出来る事ありましたらどうぞ遠慮なくおっしゃって下さいネ。
    Merry Christmas
    もう、30年くらい前の話しですが、大牟田のサンタクロースのイベントを立ち上げた経験があります。20年以上続きました。今でも、ボランテア活動に興味深々です
    田頭嘉代

    1. オンガッカ より:

      田頭さん、ありがとうございますそしてメリークリスマス!
      サンタクロースのイベントたちげられたのですね
      ぜひ色々とお話しお聞かせください
      個別にもご連絡差し上げますね

      ドロシー

  2. 宮地幸二郎 より:

    ここみやまにもコミュニテイーバスありますが利用率はとても低いと思う。単純に経費が無駄だと思うし運転手さんもむなしかろうと思うけど、それは楽だろうという人もある。私もいつか免許返上となるだろうけど田舎の車はやっぱ足代わりだからなあとも思うし、ハチドリさんがんばれ、チバリョウ(沖縄語)。

    1. オンガッカ より:

      宮地さん
      ありがとうございます
      高齢の方や観光客の足になるような
      便利でかわいいバスを作ります
      経費、採算の問題もありますがどんどん学んでどんどん実現させます

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