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音楽を「つくる」「する」「きく」ときに最も大切なことは…

「音楽ってなんでしょう」

と問われれば、

「誰でも好きなときに好きなように感じることのできるもの」

と今の私は答えます

音楽って自由です

音楽をつくるのは自由
作曲家と名乗る人の特権じゃない(いや名乗るのも自由だけどね)
楽譜がかけなくったって、パソコン使えなくったって鼻歌は歌える

音楽をするのも自由
演奏家と名乗る人の特権じゃない(これも名乗るのも自由です)
楽器が弾けなくったって、机をたたいたって、カラオケ歌ったって…

音楽を聴くのも自由
例えばクラシック音楽の精通していなくたって、流行の曲を知らなくったって、さらには耳が聴こえなくったって音楽を楽しむ人々はたくさんいます

だけど、「いや、音楽はわかんないんだよね」と、なんだかすごいことが音楽であるかのように思ってて、しり込みしている人も結構いる

もったいない

確かに、クラシックも、ジャズもポピュラーも演歌も、なんだって好きな曲を演奏したり、作りたかったりしたければ、基礎が要る
楽器の扱い方、声の出し方、楽譜の読み方などなど…
クラシックなんて、聴くだけでも色々知っていないと聴いちゃいけないみたいな雰囲気さえある

じゃぁ、基礎的な技術があって応用ができて、自分の音楽スタイルを確立して演奏したり、作曲したりしたら必ず聴いている人は感動しますか?
曲のことをきちんと理解して、じっくり音楽を聴いたら、感動しますか?

あるとき、浅草ジャズコンテストを聴きに行った
その中に私がとても心揺さぶられるボーカリストがいましたが、彼女に対して審査員は
「もっと曲の歌詞を理解して歌ってください」と講評していた

確かに歌詞は悲しげな曲だけれど、彼女はノリノリで楽しそうに歌っていた

私は彼女の歌が他のアーティストの中で群を抜いてステキだと思ったし、今でも心に残っている

その頃から、私は音楽を「正しいか間違っているか」という軸で考える前に
「好きか嫌いか」という軸を優先することが大切だと思うようになった
いや大切というより、そうなっちゃうものなのだ

正しいか間違っているかは、時代によっても変わる
ドビュッシーの「月の光」はそれまでありえなかった和音を使って批判されたけれど、やがて人々がその曲に魅了されたように、時代を超えて改めて見直されてきたものは音楽に関わらず多々あるのだ
逆に高名な作曲家の音楽でも、今ではほとんど演奏されない曲もある

それは、最後には人間が「好きか嫌いか」で判断してきたからだと思う

音楽を「つくる」「する」基礎的な技術は、「好き」な音を実現するためのものであり、「好き」がなければ学ぶ意味はない
何の疑いもなく、上からおりてくる技術を学んでも人々を魅了する音楽は紡ぎ出せない

「きく」なんていうのは、さらにもっと「好き」を前面に出していい
「知らないと好きになってはいけない」様なものならもはや音楽ではない

ある画家(だったと思う)が、「まず絵を鑑賞するときに画家の経歴や描かれた経緯などは知らずに、その絵をあるがまま感じて欲しい」という趣旨のことを言っていた

音楽を「きく」のもそう、
どこかから流れてきた音楽が、なんか好き、忘れられない…
誰が歌っているのだろう、誰が曲を作ったのだろうと知りたくなったりならなかったり…
何も知らなくても「好き」でいい

「好き」のためなら、基礎だって飛び越えることだってある

「好き」は自分だけの「好き」ではなくて、人々に「好き」と共感してもらえるような音楽を模索しながら
私は今、自由に音楽をつくって、演奏している

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