
昨日はこんな↓ブログを書いた
最近読まれることを気にせず、自由に書こうと思っている。
もちろん、お役立ちブログも書くつもりだけれど。
それで、昨日は焦って心が落ち着かなくて、文章もたいして整えずに書き殴ったのだけれど、
それが良かったのかな。少し楽になった。だから今日もそんな感じで。
だいたい私は、心のままに突き進むことが性に合っているようなのだけれど、
普通に育って普通に学校に行って…安全なレールの上を走らされていたことに薄々気づいて、頭の中で細胞が壊れる音を聞く(イメージ)ようになってしまってから、それでも「がんばって」、おかしくなって、そのあと「がんばる」のをやめて、やっといま平穏を取り戻したところだった
それについてはここに書いた↓
だけど、やっぱり、カオスの記事に書いたように、また揺り戻しというか、現実的に困ったことが起こったりして、
毎日ジェットコースターのように上がり下がりの激しい眩暈のするような日々を送るようなこともある
でも、今日はまた少し元気を取り戻した
自分を取り戻した
ほんとうに、いま、わたしがやりたいことを、
ずーっと、深いところに聞いてみたのだ
瞑想もしたし、
自分がわけもなく心地良くなるようなYouTubeを見たりして
すこしだけ元気を取り戻してから、
やろうと思っていたことに少し取り組んでみたのだ
そしたら、おもったより前進
瞑想って、やり始めた頃はなんか意味もないような気がして、退屈だったけれど、
いまは、ゆっくり温泉に浸かる気分になれるから、すぐ入りたくなる
意味なんかなくったっていいよね、気持ちいいんだから
瞑想っていろんなやり方があるようなのだけれど、
共通しているのは、目を瞑るってこと
これが決定版とか
これが正統派とか
そんなものはない
人生もそう
ほんとうは、ルールってそんなにたくさんないよなと思うようになった
ニュースを見たり、SNSやYouTubeなんかを見ていると、
これこそが、安全な人生を送るためのルールだとか、
豊かな人生を送るためのルールだとか
そんな情報が流れてくるのだけれど、
ほんとうは、普遍な絶対的なルールっていうものはない
みんなが幸せに暮らすための最低限の「決まりごと」はあるけれど、
それ以外は、ない
あるとすればそれは、誰かが作ったもの
これこそが素晴らしいルールだと主張している人のほとんどは善人で、
困っている人を助けようとして発信しているんだと思う
私も、そういう情報は好きだからよく見るし、取り入れたりもする
(中には詐欺的な人もいるけど)
けれども、ほんとうの自分のルールは
誰かほかのひとの中にあるんじゃなくて
自分のふかいふかいところ、
芯の部分に「幸福」の鍵(誰のルールにも則らず、純粋に自分自身が芯から幸せだと感じるモノ、こと)があって、
その鍵が教えてくれる道標が
ルールであり、ルートなのだと最近思う。
そのルールやルートに沿ったものは、さらなる幸福を生むってわかった。
ルールって言えば、ふと、河東碧梧桐を思い出す。
あの自由律俳句の先駆けの人。
高校の頃だったか、現代文の先生は批判していたけどね。
ルールに則ってこそ、美しいみたいな。
そのときはそういうもんかなと思っていた。
でも、もともとあの人は正岡子規の弟子なんでしょ。
守・破・離
をやった典型みたいな人だなと思う。
確かに俳句って、五、七、五は人間が心地よくなるリズムだっていうのはわかる。
でも、
心地良くないものが、「ダメ」なものなのかっていうとそうじゃないなと今では思う。
先日、柳川市民文化会館suito(水都やながわ)に行って、現代舞踊の祭典に行ってきたんだけど、
おもしろかった。どれも素敵だったけれど、
その中でも私が見たかったのは即興。
これこそが、芸術、音楽の原点だよなーと思った。
だって、いま、できたての感情とか形のないものを、この「今」という瞬間に身体を使って表現するっていう、
これこそ、ノイズの入る隙を与えない「今」の自分を表現しているんだもの。
そこに他人のルールはほとんどない。
河東碧梧桐も、そう考えるとなんか、いいなって思える。
自分を生きる、自分が人生の主人公ってよく聞くけど、
すぐ忘れてしまう。
これは他人を思いやらないことではなくて、むしろ逆。
自分の芯の部分にある思いを大切に日々の選択をしていくと、
そこに余裕が生まれる
嫌な人は嫌な人で嫌ってもいいけれど(私も苦手な人いるし、離れている)、
優しくしたい人に優しくできるよね、余裕があると
本来は全ての魂はひとつ(ワンネス)らしいから、
嫌いな人もなにもないんだろうけど、
まぁ、そこはいいじゃない。
嫌な人はとりあえず、ほっといても。
私もいろんな人に嫌われているかもしれないし。
さぁ、今日もだんだんと文章が混沌としてきたから、やめるとしよう。
でも、書くとスッキリするね。
公開はしているけれど、誰かに読まれたいわけでもないから、
誰にも告知せずに、淡々と書く記事。
その中途半端な感じが私は「好き」。
めっちゃ腹が立ったときは赤い日記帳に呪いの言葉を書いたりするけれど(笑)
さぁ、寝よう。
明かりを消して
自分の深いところに聞く
ほんとうに、「それ」は好きなこと?