
ゆらぎない実直な雨
突然、揺れる朝、
急いでスマホを確認するも通知はない
友人に連絡すると、やはり揺れたと
しばらくすると宮崎県で震度4とわかる
ここは福岡県大牟田市
何事もなかったように、遠くの建設現場では人々が作業し、クレーンはキリンのように悠々と進むのがみえる
ふと
「フラクタル」という言葉が浮ぶ
「もの」の一部が全体と相似形、同じようなパターンになっていることをいうらしい
冒頭の写真の野菜、ロマネスコみたいに一部分の形と全体の形が同じ
人間の血管も大きな血管の枝分かれの構造と、細部の血管の枝分かれの構造がフラクタルになっている
上空から見てみると、
人間の血管の枝分かれと、川の支流への流れもそう
地球の外から眺めてみたら、人間の身体の水の割合と地球の水の割合も…
そして、はた、と気づく
もうひとつのフラクタルに
以前、ラジオ出演した時、大牟田の街をもっと元気にしたいと発言して、
その理由を問われた時うまくこたえられなくて、ずっと引っかかっていた
この街には、多くの人々の活動があって、感動があって、華やかなところもたくさんあるけれど、
それは「打ち上げ花火」のようで
日常に戻れば
人は減っている
お店がなくなる
空き家はたくさんある
どこに目を向けるかで物事は違って見えるというけれど、
でも・・・・・・・・・・・・
どんよりした空気を感じる
いまの大牟田の街の姿が、
正しいのか間違っているのかはジャッジしても仕方がないし
自然な流れなのかもしれない、
そこに抵抗する意味があるのかもわからない
あぁ、そうか
この街とわたしはフラクタルだったんだと思いあたる
だから、ここを元気にしたいんだ
生まれた場所でもなければ
もともと縁やゆかりがあってここに来たのでもないけれど…
深い呼吸をするたびに
この街の息づかいを感じる
暗い大牟田が目に入ると
わたしはその一部だと感じる
明るい大牟田を伝え聞くと
わたしはやはりその一部だと感じる
わたしは大牟田の縮図であり
大牟田は日本の縮図
日本も地球の一部であり
地球は宇宙の呼吸を感じている
やっと長い間のこたえがみつかったところで、
ちっぽけな私の手を見る
わたしの大牟田に寄せる想いも仕事も、花火のようなものだけれど
多分それでもいいんだ思える
打ち上げ花火でも
上げ続ければいいし、
わたしも火をもらって
ちいさな線香花火に灯す
そして隣の「あなた」にも、小さな火を分けたりして…
ときどき絶やすこともあるけれど
それでも火を灯し続ければ良いのだと思う
雨は止み
微かに聞こえる建設現場の音のあいだに
わたしのなかの
もうひとりのフラクタルなわたしの声がきこえてくる
打ち上げ花火と線香花火もフラクタルだね