ガラスの動物園 原作テネシー・ウィリアムズ
今日の興奮を早く文字に起こさなきゃ!
文字にする前に他人に話してしまうと、サイダーの「気」が抜けてしまうような気がして帰宅後一目散にパソコンに向かっている。
本日2020.1.25(土)暖冬の朝。曇りときどき雨の朝が明け、私は福岡県大牟田市から西鉄電車に飛び乗り、福岡市の天神駅からてくてくと福岡アジア美術館「あじびホール」へと急ぐ。
これを観に↓
私は福岡県大牟田市に、このブログのタイトルにあるような「プロの」音楽団体を作ろうとしている→大牟田なないろ音楽隊(2021年2月に「ハチドリ芸術社」と改名検討中。趣旨は↑リンクページのまま)
そのために、少しでもヒントになるような情報に到達するよう日々アンテナをピピピっと全方位に向けている
昨年も、障がいのある方とない方が一緒にステージに立つイベントに足を運んだ。「プロの」音楽団体を設立する予定の私には少しイメージが違ったが、私のイメージと違うということがわかり、目標への方向が少し絞られたという収穫があった。
「プロの」という言葉
これを読む貴方が「プロ」という言葉にどのようなイメージや定義を持っているか知る由もないが、私自身は「プロ」とは「自覚と責任と経営感覚を持つ」ことと定義し、私自身もプロのオンガッカを生業としている。
もうちょっと長ったらしく言うと「仕事として受けたものを己が考え、消化し(一部外注するとしても)、ハプニングにも最後まで対処し、かつ顧客のニーズに応え (顧客の言いなりになることではない) 、売上を上げ次の仕事に投資していけること」(もちろんコレに当てはまらないプロと呼ばれる職業もたくさんある、念のため)。今現在の私の定義はこれである。これ以上は今日は書かない。
とにかく私はその「プロ」の音楽団体を作りたい。そこに障がいのある方もない方もいるということ。障がいのある方への支援というよりも、社会に必要とされる団体を作りたい。そういう意味で ヤマトホールディングス株式会社が手がける株式会社スワン(ベーカリーとカフェ事業)にも注目している。
倉品淳子さんとニコちゃんの会
そして、あちこちで情報を集め、ふと昨年、大牟田の文化会館で「倉品淳子」という名前に出遭う。大阪のビッグアイというところで障がいのある方と一緒に舞台を作り上げるプロジェクトのチラシ。プロの舞台俳優である倉品淳子さん、劇団山の手事情社に所属していらっしゃることはわかった。その後もネットで公演情報を追っていた。大阪、東京、福岡。なかなか予定と合わないが「いつか行ける、いや行く」。
そして同時に「認定NPO法人 ニコちゃんの会」という重度の障がい、病気の方でも豊かな人生を送れるような活動をしている団体と倉品さんがタッグを組んでさまざまな活動をしていることを知るようになる。
そしてやっと今日、「ガラスの動物園」というワークショップシアターに行くことができたのだ。ワークショップシアターとは、劇団員の訓練や演劇の練習の一こまを観客も一緒に参加、体験し(ワークショップ)、その後、演劇本編が始まるという形式。
劇団山の手事情社のサイトにも「ガラスの動物園」公演について載っています。
ほぼ身体が全ての演劇
私は幼い頃両親に多くのクラシック音楽のコンサートに連れて行ってもらった。その時私が何を楽しみにしていたか。
それは衣装。特に女性のソリストがドレスを着て演奏する姿はまばゆいばかりに幼い私の心を掴んだ。
肝心の演奏は、特に交響曲などは、だいたい2楽章あたりからどれも同じに聞こえてきてうとうとしたりしていたのを思い出す。
今日の演劇はまるで違う世界。
進行役でもある倉品さんは黒いラフなジャージ?にパーカーのようなものを羽織っているのみ。他の俳優陣も大体黒くて動きやすい格好。スタッフの方々も黒。
衣装はいわば黒子のような感じなので、皆さんのお顔や「バラエティのある身体」(上記チラシ)を精一杯動かす姿(演劇本編は3人だが、ワークショップには倍以上の数の役者のみなさんが舞台に立った)に注目せざるを得ない状況。これは狙いなのかもしれない。
福岡アジア美術館のあじびホールという場所だったが、今回は演劇にスペースを割いているので、客席はぎゅうぎゅう並べて100名も入れば満員といったところか。私は地べたにクッションという最前列の「砂かぶり席」で倉品さんら俳優陣から1mというところで観劇。
劇団によって早口言葉の文言が違い、独自の文化があるという話を聴いたり、観劇者も一緒に口や身体を動かす。次に倉品さんの合図で、俳優達が、気を抜いた状態(オフ)から、喜怒哀楽など感情表現にパッと「オン」に切り替わるという「二拍子」。
また、「ガラスの動物園」の1シーンを、本編では演じない俳優さん達がやってみて、倉品さんが、ここはこうしましょう、こうした方がいいという指導を行う稽古風景。
…いつの間にか本編に入って次第に1930年代のセントルイスの鬱屈した一家の喧騒に引き込まれていく。
黒子の衣装に、わずかにスカーフやメガネ、ベスト、椅子などがあるのみだったが、そこには確かに貧しく濁った古いアメリカの一家の空気が流れていたし、ガラスの動物達はキラキラ輝いて、ローラという内気な女性も頑固なアマンダ母さんも、悪態をつくローラの弟トムも、トムの同僚ジムも…。この4人を3人でやっちゃう点も注目だ。
小物や衣装はほとんど無いのにこんなにありありと眼前に景色や匂いを繰り広げてくれる演劇。華やかな宝塚や劇団四季などは観たことはあったが、今日の演劇はどちらかというと落語のような世界。イメージは観客一人ひとりの頭の中に浮かび上がるのだ。
感動さめやらぬまま、ホールを出て、倉品さんがもしかしたら…という淡い期待。
あ、男性と話している。しかし、私も帰りの電車が…。でもこんなチャンスは無いと、お二人に頭を下げて、倉品さんに握手だけ求める。が、勢い余って、男性に謝りながら私は倉品さんに大牟田なないろ(2021年2月に「ハチドリ芸術社」と改名検討中。)の夢を語る。息つく間もなく。倉品さんは大きな目をさらに見開いて私を見つめて話を聴いてくださる。
福岡ご出身の倉品さん、大牟田の場所はおわかりになるみたい。今後声をかけますとおっしゃって頂いた。私からもお声をかけさせてくださいと申し上げて、雨の中を西鉄天神駅まで急いだ。
亀のような歩みだけれど、今日は大きな一歩。
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