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生きることにもやっとしたら鈴木大拙

人はさまざまなことで悩む。

私もそう、人間関係に悩み、将来に悩み、もう最後には何に悩んでいるかよくわからないことに悩んだりして。

そんなときに、今の私は自己啓発系の本を読んだり、YouTubeを観たりするのだが、そういうのがうざく感じるときがあって、その心は自分で制御できずどうしたもんだろうと思っていた。

たいてい気の合う人に逢ったり、何かちょっとしたことで慰められたりするのだが(以前は心療内科に通ったこともあったが)…

ふと2018年末にある住職に薦められた鈴木大拙と清沢満之のことを、この夏、思い出した。私がむしろ悩んでいないときに薦められたものであり、しかも、「読んだらいいよ。読んだら内容教えて!」という訳の分からん薦め方だった(その住職はとっても読書家なので読んでないはずはないと思うのだが)。

で、なんとなく、私の感覚でとっつきやすそうな?鈴木大拙を大牟田市立図書館で借りた。1987年の著書であるからなのか閉架書庫から引っ張り出してきてくれた。

手の平サイズの単行本で、なんとなくさらっと読めるかと思いきや仏教用語を知らない私にはいちいち広辞苑が欠かせないが(いつもならスマホで用語を調べるが、「鈴木大拙先生」の本には「広辞苑」が似合いそうだったのでほこりかぶった重たい広辞苑を引っ張り出してきた)、内容自体はすんなり入るところも多い。

図書館にはもう返してしまったのでどんな内容だったのか具体的に引用等で示すことはできないが(^_^;)、ちょっと参考にしようと、アマゾンの書評をみると、何か難しそうで読むのを辞めようという人が続出しそう(ごめんなさい)。

でも、内容がすっ飛んでしまった上で、あえて私の心に濾過されて残ったものをここに記すならば、私がいつも思い悩んでみているものの裏側にあるもの、あるいは上にあるもの、別次元にあるものに思いを馳せることができるようになったのではないかということ。

そして、外へ外へ何かを求めすぎて、地に足をつけることを忘れているところから、私の悩みは増大しているのではないかということ。

単なる禅を学ぶ本ではなく、鈴木大拙の言葉と、自分の心や身体を向き合わせることで次第に落ち着きを取り戻せるような読後であった。

因みに、ここ福岡県大牟田市の隣のみやま市出身の政治家、野田大塊についても記述があり、「おっ」と親しみを覚えた次第。

この本は、「とっつきやすい」という感覚には少し遠かったが、時折、鈴木氏がつぶやく「わからない」という言葉に、実直な人間味を感じた。

★2027(令和9)年ドロシーみきこは「ハチドリ芸術社」をつくって、「ハチドリ芸術バス」を走らせる!全国1750市区町村バイオリン行脚も作曲も講演もブログも全てはそのために!

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